ベイツメソッド in 軽井沢

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眼科医からは聞けないドクターベイツが発見した視力向上法

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〒389-0115 長野県軽井沢町追分1499-15 松田方

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「Perfect Sight Without Glasses」の日本語版「眼鏡のいらない目に戻ろう出版後に寄せられた、読者の質問などから、視力向上の細かな技術だけではなく、興味深い話や彼の人間愛や公平さを示す逸話をホームページに公開していく価値があると判断いたしました。
付録として、お読み頂ければ、幸いです。




見やすいもの」と「見えにくいもの」 (心の動きと目の反応)

 
日常的に屈折のエラーがあり、いつもは物をハッキリと見えない人が、時によって、或いは、物によっては良く見えることがあり、その時だけは、屈折のエラーが消えて焦点が合わされるから不思議だ。この特定の物を私は「見やすいもの」と呼ぶことにした。
 普段は、人の顔が見えない近視や乱視の子供でも、母親の顔はたいがい良く見える。「見やすいもの」だからである。

 洋裁の先生は、眼鏡なしで細い絹糸用の針穴に糸を通すが、ボタン穴は小さすぎると眼鏡をかけてボタンを縫いつける。彼女には絹糸や細い針穴が特別好きだと云う自覚はないかもしれないが、これらは確かに彼女の「見やすいもの」である。
 ワインの醸造所で桶の検査を永年している人は、入荷される桶が斜面を転がり落ちて来るのをサーっと見て、水漏れするかどうか的確に判断出来る。桶以外の物は眼鏡なしでは見えなくて困ると云うから、この人には桶の検査が「見やすいもの」である。 
 テストカードの字の中でも「見やすい」字がある。或る生徒は、この特定の字が大きい時はよく見えて当然だか、小さなサイズになっても見える。ところが、同じサイズの他の字は何故か見えない。

 時には遠くから見た「見やすい」風景が、近くへ来たら「見えにくい」に変わったりする。心の動きによって判定される「見やすいもの」の理由は他の人には分らないことが多い。

 又「見やすいもの」と逆のケースで、屈折に問題のない人が、焦点を合わせられない特定の物がありリテノスコープで観察すると屈折のエラーが出ている。私はこの物を、「見えにくいもの」と名付けた。

 多くの場合、見慣れているものは努力なしで見えるから「見やすいもの」に分類され、見慣れないものは「見えにくい」になる。

 好きではない、見たくない、つまらない、不愉快だ等と思った途端に実際に見えなくなる。気持ちが作用すると焦点がぼける、心は恐ろしく強力だ。問題は「見えにくいもの」と思った瞬間に視力が下がることだ。その特定な物と合わせて、周りの物にまで影響が及び、全体が見えなくなる。

 友人には特別「見えにくい」字があった。その字が、章の最初と、最後に近い位置にあると、その章全部が見えなくなってしまう。

「見えにくい字」の入っていない次の行からは見えると云う奇妙な反応であった。私は「見えないのは気持ちのせいかもね」と疑問を投げかけた。
彼は、しばらく冷静に私の疑問を考えた結果、その字を見た時に起こる一種の不快感は、何の理由もないと彼自身で納得した。すると「見えにくいもの」という考えから解放されたらしく、全ての文章が見えてきた。

 検眼用のカードは、普通は「見えにくいもの」となっている。これを「見やすいもの」に変更できないだろうか。カードの文字や数字を見慣れていれば、「見やすいもの」に変化し得ると私は考えた。
それで視力の不完全な小学生たちにカードを近くから何回も読んで貰った。子供によってはカードの字を全部覚えたりした。字が見慣れたものとなった時に距離を伸ばし、遠くからカードを見たが屈折の変化は起こらなかった。

 子供達が全部読めるようになってからも、毎日3メートルの距離から字を読み、良い視力と平静な気持を保てるようにカードが利用されることを私は願っている。

「見えにくいもの」を見ようとして緊張するから、ストレスとなり、屈折のエラーが生じる。ストレスを無くすると、多くの物が「見えにくいもの」から「見えやすいもの」に変化してくる可能性がある。


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「健康な目」の人は「痛みを軽減」できるか
 
 
10年以上も前から、視力を回復した幾人かの患者達がうれしそうに私に報告してくれた。先ず、眼鏡なしで過ごすようになって以来、目の痛みや頭痛はなくなった。その次に、目に関係のない身体中の痛みを自分で軽減出来るようになって助かっている、と云った。

 目に直接は関係のない部分の怪我や病気等でも、苦痛をあまり感じない様に自分でコントロール出来る。しかも、このコントロールは麻酔や薬の力ではなく、自分の気持ちを静かにしているだけで効果がある。副作用がないし長時間でも持続できる、等々。不思議な何かが働くようになって、以前とは違って来たという。

 何かが起きたので痛みが感じられなくなったのは視力が上がって以来の事だという。それはただの落ち着いた気持ちだけではないらしいが、どうもハッキリしない。本当だろうかと私は疑った。結局、痛みの軽減の仕組みを知りたいと思って、数千件の事例に立ち会った。

 視力向上を目指す人は、誰でも学ばなければならないことがある。それはパーミングで、非常に大切な訓練の一段階だ。上手にパーミングをして、[黒い色を見る]ことが出来るようになると、脳と目が一緒に休むので視力が確実に上がることを私は患者達と共に経験してきた。

 このパーミングが痛みを軽減させる重要な役目を果たすとは思いも寄らないことであったが、事実であった。即ち「パーミングのテクニック」で、全身の痛みがコントロール出来るのだ。この調査結果は私にとっては驚くべき大きな発見であった。

 調査に協力した者の中で、苦痛を軽減出来ない人は、まだ黒色を見るに至らない練習不足な人達であった。痛みを軽減するための必要な条件は「小さな黒い点を完全に想像出来る」ことである。
一般に、字や物の形を完全に記憶し続ける時間は、わずか数分間であるが、訓練によって色の記憶は長く続けられるようになる。とくに黒色は覚え易く記憶時間を自分の意志で延長できる。


 まだ「健康な目」には到達していない人でも「小さな黒い点」を想像して、それが見えている間は、その人の皮膚をとがった針で突っついても痛いとは云わないことが、幾つかの実験を通して解かった。

 あなたもパーミングをして「小さな黒い点を想像し」それが見えるようになったら、実験として、耳たぶを親指と人差し指の爪で強くはさむと、つままれた感じはするが痛みを感じない。これが不思議の正体である。

「小さな黒い点」を想像している時は、味覚、嗅覚 聴覚共に敏感で、温暖の変化も感じるから、気は確かで心はよく働いている。けれども痛みを感じる感覚に大きな変化が起きる。 

次に「小さな黒い点」を記憶し続けて、苦痛を回避した驚くべき幾つかのケースを紹介する。

1私が眼球潰瘍の治療をしていた時、患者が眼球に複数の穴が出来る症状をひき起こした。
眼球内部の液体がその穴から洩れ出すから穴を塞ぐ手術をしなければならない。繰り返し使っていたコケインが使用限度に来ていた。その上、さらに数回の手術が必要な状態であった。クロロホルムとエーテルを使っての手術も出来るだけ避けたい。

そこで、彼女に黒色を記憶することを教えた。彼女は真剣に黒色を記憶した。数日後に手術を受ける用意が出来たと云うので、手術の痛みに耐えられるかどうか、丸みのある器具で眼球にさわるテストをしてみた。最初は黒色に集中できなかったが、何度か繰り返しているうちに、数十分間、黒色を見続けることが可能になった。本番では、手術の終わるまで楽に黒の記憶は保たれた。

患者の感想は「痛みを少しも感じなかったし、気持のコントロールが自分なりによくでき、コケイン使用時より落ち着いていた」と述べた。その後彼女は14回にわたる手術をこの方法で受けたが、驚いたことに手術中と同様に術後も痛みは起こらなかった。

彼女は、知らない医者による手術だったらきっと神経質になって、黒を忘れただろうと云っていた。
(挿入写真参照)

 
麻酔なしで手術をしているドクターベイツ

 


2
歯医者の椅子に座っただけで落ちつかなくなる男性は、以前、抜歯を全身麻酔してもらっていた。黒い点を記憶出来るようになって、彼はガスもコカインもクロロホルムもいらないと云って抜歯をしてもらい、痛くなかったと云った。その歯科医は信じられない様子で彼の大胆さを褒めたとのこと。
また他の女性も3本の歯の神経をぬく治療したが、痛みが全然ないと云って歯科医を驚かせた。

例3、ニューヨークのハーレム・ホスピタルの眼科へ、14歳の少年が、目のトゲを抜いてもらいに来た。私のところへ来る前に角膜に刺さったトゲを、他の病院でコケイン麻酔をして、抜き取ろうとしたが失敗した。母親は彼が痛がって静かにしていなかったからだと息子を責めた。

この少年は目の前の黒い置物を見て、目を閉じ、その置物の色と形を記憶するようにと命令された。割合に早く彼が「覚えたよ」と言った。その瞬間に痛みが軽くなったと彼は云った。

それで彼に目を開いたまま「小さな黒い点」を思い出す事を教えた。黒色を記憶していれば麻酔をしなくても、角膜から異物を取り出せると彼に説明して理解を得たが、処置に時間が掛かった。

この間、少年は痛いとも云わず、手術は進行した。私が時々、黒を見ているかと質問すると、「見ているに決まってるよ、真剣だもの」と答え、無事に手術は終了した。

例4、上記の病院でのこと、外科の医師が彼の友人を連れて眼科へきた。この友人は眼痛と頭痛に悩まされていたが、私のリラックス法で簡単に治ってしまった。するとこの外科医はそんなリラックス法なんて「マグレあたりだ」と軽蔑した云い方をした。私は癪にさわったので、
「どんな痛みでも5分で止めて見せるから、誰でも連れて来い」と見栄を切った。彼は
OK、私も頑固者で有名なミゾ―リの出身だから、おぼえておけよ」とって帰った。

彼が連れてきたのは数年越しひどい頭痛に苦しんでいる婦人で、手術も数回し、その時も、数カ月間の入院生活中だった。

「この人の頭痛は何ともしようがないでしょうね、彼女には脳腫瘍があるんだから。」と、外科医が勝ち誇ったように云った。
私も負けずに「脳腫瘍でもなんでも、私の助手が5分以内に痛みを止めるよ」と云い返した、脳腫瘍かどうかは疑わしかったが・・・。


彼は時計を取り出して、針を見ながら、私の助手に「はじめ、ヨーイドン」と号令をかけた。助手が、その婦人に視力カードの大きな字をおぼえるように指示した。彼女の記憶が確実になり、続いて両手で目を覆って、字の黒さを視界全体に広げることに成功した。

すると、3分もしない内に、彼女は、「完全に真っ暗になって、何も見えないわ。不思議に頭の痛みが全く無くなった。有難う」と云った。外科医はバツの悪そうな態度で一言も発せずに出て行った。

その時に与えられた再発防止策は、2時間おきにパーミングをすることだった。頭痛は再発せず、数週間後に彼女はお礼を云いに来院した。

小さな黒い点を完全に記憶出来ると、その症状から起こる痛みを軽くするだけでなく、痛みの原因になっている病気をも快方に向かわせる。 
風邪、咳、花粉症、リューマチ、緑内障など、快方に向かった例がある。

5極度の複雑乱視の女性が重い風邪に掛かっていたが、予約の日だからと、目の診察に来て、ひどい咳をし続けた。熱があり、頭痛もして、涙と鼻汁で、呼吸が苦しそうだった。

私の助手が黒色を見るように指導した。30分のパーミングが不思議なほどよく効いた。喉の痛みが取れて、鼻呼吸ができるようになった。

64歳の少年は百日咳の発作に苦しんでいた時にパーミングを教えられた。黒を見るようになって発作の回数が減り、数週間後に完治した。

7、花粉症に毎年6月からシーズンの終わりまで悩まされていた男性が、毎日30分のパーミングで、少しずつ楽になっていったが、3年後はその季節が来ても花粉症に掛からなくなった。

8、6カ月間リューマチの治療に通っていた65歳の男性の痛みは続いていた。たまたま、目にも問題があるのでパーミングをした。その時に痛みが軽減することに気づいて、毎日、長時間のパーミングをした。視力が戻った時には、リューマチも完治していた。

9、緑内障の場合、目の痛みだけでなく、突っ張るような目のコリが苦しいのだが、パーミングで痛みとコリの両方を和らげることができる。1回でも効果はあるが、繰り返す必要があるだろう。

 どうして黒を覚えると、不思議な事が起こるのか、今のところ(1930年現在)完全には説明されていない。しかし考えてみるに、気持ちの静かな時は余計なことに迷わされないで済む。そして黒を思い出せる状態の時には身も心も静かでコントロールが良く効くからではないだろうか。

 心の働きによって、身体のあらゆるところに痛みが起こることは昔から観察されていた。心が痛みを生み出すのであれば、逆に、心が痛みや症状を軽く出来ても不思議はないと私は考える。

 時々、宗教団体などで、教会で祈っていたら、患者が信仰によってその場で治ったと云うセンセーショナルな現象の発表がある。

 理論的な説明は今のところ出来ないにしても、多数の証拠によって「黒い点の記憶」が有効であると実証されているし、実際に利用できるので多大の価値がある。

 「健康な目」の人は、短時間の訓練で黒を記憶出来るようになるので、容易に痛みの軽減に活用できる。最初は黒い物を見て、目を閉じて黒色を思い出す練習をし、それから目を開けたまま黒い点を想像して、実際に「黒い点」が見えるようになっていれば完璧だ。この練習をしておくことを薦める。

極度の痛みに耐えている時に学ぶのは難しいだろうが、不可能ではない。又、黒い点を記憶する方法をアドバイスして貰いたい時、ベイツメソッドを理解している指導者を見つけ出すのも不可能ではない。

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患者に会わないで処方する医者がいるとしたら、そいつはウサンクサイ偽医者だと受け取られることでしょう。病気によっては大変な間違いが起こります。肺炎や腸チフスの例で、医者に確実な知識があり、連絡が速やかに出来たとしても、間接的に診断し処置するのは避けるべきことです。

 けれども、近視、遠視、乱視は目の使い方に問題があって、肉体的な欠陥ではないと判明した現在では、通信療法で充分に良い結果が出るし、危険はありません。勿論、手紙のやりとりの処方では、クリニックでの直接療法には及びませんけれど、次のような経験した私の話をお読み下さい。

 私の患者でホンデユラス(中米)から来た若い黒人が、ニューヨークのレストランでウエイターをしていました。
彼の老母は、眼科医どころか医者も遠く離れた所にしかいない僻地に住んでいて、目が悪くなって、読みたい聖書が見えないので、なんとか彼女の望みを叶えてあげたい、と云うのです。

「あなたのお母さんに会ったこともないし、訪ねて行くことも出来ない距離だから」と断ると「貴方なら何とか出来るでしょう。」と私の能力を実際以上に高く評価していて、良い知恵を出してくれると固く信じて期待を寄せてくれた。

見たこともない人の眼鏡をどうして処方出来るだろう。彼の信頼に対して私の受けた大きなショックは、類のない忘れがたいものだった。私は以前に黒人の女性の眼鏡をクリニックで処方をしたが上手くいかなかった経験がある。クリニックの中の諸条件の良い所でも難しい場合があるのに、見たこともない人に満足な調整の出来る筈がない、と思った。

この青年の私への信頼は過大評価であったにしても、母親の最後の願いを叶えるためには何でもすると云う熱心さに私は感動した。それで、凸面レンズの3.00..を処方した。息子はこれをメガネ屋に作らせて郵送した。ほどなく母親から大満足のお礼の手紙が届いた。

 暫くして、母親がこの眼鏡では遠くが見えない。近距離を魔法のように素晴らしく見せてくれた医者だから、遠距離も何とかしてくれるだろう、と云って来た。老眼鏡では当然、遠くは見えないのだが、彼女はそんなことは知らない。

これは最初の老眼鏡の場合より難しい。息子は何とか考えて下さいと、またもや熱心に私に頼んだ。断りはしたが、この息子の真剣さが心から離れなかった。それで出来る限り助けようと思った。

彼は母親が40才過ぎまで聖書が裸眼で読めたといった。これは彼女が遠視ではなく近視気味の証拠であろう。目は良い方ではなくとも乱視では無かったに違いない、と私は推測した。

 彼女の掛けた老眼鏡から聖書までの距離を測って、正確な数字を私に知らせて欲しいと息子に伝えた。間もなく送られてきたのは、数字ではなく直径
6ミリぐらいの太い紐で、25センチの長さであった。

眼科医としての経験から判ることは、彼女が正常な目であれば33センチで見えた筈だから、25センチで見えると云うことは彼女の目は4ダイオプターの屈折があると断定した。引き算をすると1ダイオプターが必要と云うことになる。これを考慮に入れて凹1.00 D.Sの眼鏡を送った。彼女は以前にもまして喜び、生まれて初めて人様と同じ物を見て、世界が変わったと云って来た。
 
私の行為を医者としての倫理に違反すると責める人がいるだろうか?
バイブルを読むことが唯一の慰めである憐れな老女を眼科の知識で助けたことを私は嬉しく思った。もしも万一この眼鏡が合わなくも、彼女にたいした害は与えないのだから。

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もし、視力向上のための通信教育という形が出来たとしたら、以上のケースに対してよりも更に反対する人が少ないだろう。勿論、個人面談で指導すれば確実に短時間で視力は上がっていく。しかしそれが出来ない場合もある。私は通信の手段で永年患者を指導し、いくつかの成功を収めている。

例1、    数年前、英国紳士から眼鏡を作るたびに、合わないだけでなく、見えない度合いがひどくなってきているから良い方法はないだろうかと云う手紙がきたので、私はリラックスすることで、目が楽になり視力も向上すると説明した。目に休養を与えることが、彼に害になるわけがない。
 私の指示に従って目をリラックスさせた彼は、間もなく遠距離も近距離も眼鏡なしで見えるようになり苦痛も無くなった。5年後に彼は軍隊に入り射撃のSharpshooterの資格を取ったと云う手紙が来た。この結果から、患者に一度も会っていないからと私を咎める人がいるだろうか?

例2、    アリゾナの砂漠に駐屯していた将校さんからの手紙は次のような内容だった。近くを見ると目が痛み、眼鏡を掛けても痛みが取れず瞼に肉芽が発生した。ニューヨークへの通院は不可能だと云うので手紙で相談を受けることに決めた。
 彼の回復は早く、リラックスによって瞼の腫れは直ぐに引いた。4か月後に来た手紙では雑誌に載った私の書いた長い文章を薄暗い光の下で読んだが悪影響は出なかった。またアリゾナの華氏114度の高温と強い日光の照りかえしにも、余り悩まされずに過ごしたという。また、スネレンのテストカードの最下段の小さな文字は、3メートルで読めるのが普通であるが、4,5メートルの距離で完璧に読むことが出来て、6メートルでも殆んど読めるまでに視力を上げた。

例3    アメリカ政府の森林管理者が、近視で乱視が強く苦労していた。眼鏡を掛けても楽にならず、山の緑にもいやされないという。近くを見る仕事は少ないと云った。ニューヨークへ来る暇がないとのことだったから、手紙では、治療効果が不確実だと伝えたが、それでも試したいとの返事だった。辺鄙なところだから手紙が届くのに少なくとも3日は掛かったし、返事がすぐに書けないこともあり、3週間位の間隔での交流であった。この状況だから、良くなるのにも手間取った。しかし彼の不快感は割合簡単に消えた。
そして視力は10カ月掛かって1,5で普通になった。

多くの遠隔地から来た患者が帰宅してからは手紙のやり取りとなり、クリニックの時よりも時間が掛かるようだったが、患者達は根気よく完治するまで治療を続けた。勿論、文字からの理解は、誰にしても難しい。
 それとベイツメソッドを理解している眼科医は私の努力にも拘らずまだ少数なのは残念なことである。 

      
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 ベイツメソッドを教えてくれた人はだれでしょう?

ベイツメソッドは私の手を離れて、独り歩きをし始めたようだ。というのは私の会ったことのない人達が、ベイツメソッドで健康な目を取り戻している。

 知人の家に招かれて行った私に、そこの奥さんが私の患者を知っていると云って数人の名前を挙げた。どの名前にも憶えがないと云うと、彼女は、
「そうよね、ベイツメソッドで治ったと云っても貴方に直接は会ってないのよ。いわば代理の人が治したのよ。」
「貴方の患者だったミセス・スミス覚えているでしょ、彼女の指導でミセス・ジョーンズとミセス・ブラウンの目がよくなったの。」
「斜視だったシンプキンズさんの長男もね。自分が治してもらった後で、ご両親とお祖父さん、それに叔父さんの目まで良くしたのよ。」と云った。

 私の患者達は自分の視力が向上すると、身近に居る家族や友人の視力回復指導を始める。ベイツメソッドによる目の矯正は安全で効果が上がるから面白いと云われる。壁に貼った視力向上カードの読み方をいろいろと工夫するのが主な注意点で、其の注意点を努力や緊張をしないで守ると不思議に良く見えてくる。

検眼カードを貼っている学校の生徒達は、目の働きに興味を持ち、どこまで見えるかをゲームのように競い合う。晴れた日は字がよく見えるので喜び、曇った日はみんな、がっかりムードになった。自分が良く見えるようになると、周囲の人達に正しい目の使い方を指導したくなる。
 ある少女は、6カ月間に26人の近視を治した、もう一人は3カ月で12人の目を矯正したと云う。生徒によっては多種類の症状を扱って、まるで経験豊かな眼科医のようだ。

 「エミリーと級友達」

検眼カードの貼ってある学校へ定期検診の訪問をした。
以前、視力の弱かった少女に、その後の様子を尋ねると、彼女は目の調子も良く此の頃は頭痛もしなくなったと云った。

テストしてみると彼女の目は正常になっていた。すると、そばにいた少女が口をはさんだ。
「私も良く見えるようになったの、エミリーが治してくれたの。」と私の話していた少女を指差した。
「エミリーはどんな風にして貴女を治したの?」と私がたずねると、
「最初にエミリーがテストカードの字を私に読ませた時は、教室の後ろからで、まるっきり読めなかった。するとエミリーは、私から1メートルはなれた処へカードを持って立ったの。次の日は1メートルより少し離れた所に立ち、毎日、段々に後ろへさがって行って一番後ろからでもカードの字が読めるようになったの。」
「それからエミリーは、左眼だけで読めと云うので、右眼を覆ったら、左の眼では何も見えなかったの。私たち二人はびっくりして学校医の処へ走って行き話をしたの。学校医は、私の左眼は生まれつきの盲目だから、どうすることも出来ないと云ったわ。」

盲目だと聞いてもエミリーは諦めず、友達を励まして、見える右目をカバーしたままカードの近くに行ってもう一度試そうと云った。そして少女は字から30センチの距離まで近よった時に、大きな字も、小さな字も何とか読めた、それで彼女は盲目でないことを発見した。

この小さな指導者は一生懸命読む訓練のお相手をし、小さな患者のほうは数カ月の内に両眼とも正常な視力の持ち主になった。彼女の左眼は、強い近視だったのだが学校医は眼科が専門ではなく、強度の近眼と盲目の見分けが付かなかったとのこと。

 同じクラスの生れ付き片目が白内障の少女が、私の訪問した時には白内障が無くなっていた。これもエミリーがパーミングをさせたお陰だという。いずれ手術をしなければならないが、他方の目が健全だから急ぐことはないと云われていた。エミリーは、パーミングの後、少女をテストカードの前へ連れて行き、良い方の目をカバーした。すると一番大きな字も霞んで見えない。それでもエミリーは、少女とライトの間にテストカードを持って行き、遠ざけたり近寄せたりした。1メートルの幅で前後に動くカードを見ていた少女は、そのカードが段々と遠くへ動かされ、3メートル位の距離からだと、カードの大きな字が何となく読めるのに気がついた。何となく読めるから始まって6カ月ほど経ち、徐々に白内障のある目でも読めるようになった。

 この少女をテストしたら、白内障が透明になり両目とも正常なので、
「エミリー、あなたは腕の良いドクターだよ。みんな治しちゃったね。まだ他にも治った人がいるかしら?」と聞くと彼女は恥ずかしそうに級友のほうを向いた。その級友は「メーミエはどこ?」と大声で呼んだ、とメーミエが前へ出てきた。私はメーミエを見つめた、どこも悪くない。
「斜視を私が治したの」とエミリーが言った。

斜視の目は他方の目より弱く、メーミエはその眼ではほとんど見えなかった。現在は医学の文献などに、斜視は治療が不可能であると書かれているが、エミリーは勿論そんな記事を読む訳もなく、知る由もない。だからエミリーは先ず、斜視の目を強めようと思った。メーミエの良い目をカバーして悪い目の訓練を教室でも帰宅しても繰り返した。外を向いていた目の視力が上がるに従い、瞳の位置が段々と中央に寄って来た。メーミエは手術をするように勧められていたが、怖いからと同意をためらっていた。それは幸運だった。こうして手術せずに健全な二つの目になれたのだから。

「ほかには?」と聞くと、エミリーは下を向いたまま、
「ローズがね」と云った。「いつも目が痛むので、黒板の字が見られなかったの。頭痛がひどくて時々学校を休んだりしていたの。眼鏡を作ったけれど合わないと云って掛けなかったし・・・」
「ドクター・ベイツ、貴方がテストカードを読むのが良いと云ったから、私は彼女に一生懸命読ませたの。ローズは近くからも遠くからも、ただ眺めていたの。そうしていたら、だんだんハッキリ見えてきて両方とも良く見えるようになったの。そうしたら頭痛も無くなったのでローズは学校へ毎日来ているわ。私たち貴方に感謝しています。」と云った。ローズは複雑な遠乱視だったのだが、矯正されていた。

 エミリーほど多数のケースを扱った生徒は稀だけれども、自分が治った後で一人、二人と周囲の人を励まして改善するケースは多い。単にカードを読むことで、視力の低下が未然に食い止められる。目の良い子供たちの輪を広がって行くのは、嬉しいことだ。このようにしてテストカードの貼ってある学校で欠陥のある眼を治して行く例をきくのはうれしいので紹介した。

       





















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